職住隣接物語

札幌で在宅ライフワークをしている人

平均的人間はお好きですか?

シュトレンは好きだが平均的人間は好きではない

   

 

今年も早かったと感じるのはなぜか?

 

11月も半ば、「今年も早かった」と口走ることは今までなかったのだが、今年は早かった。なぜそうなっかというと、もちろん新型コロナの所為である。自粛生活は単調になる、単調に慣れてくると時間の感覚がなくなる。今日が昨日と同じなら、カレンダーという感覚もなくなる。そして気が付けば11月半ば、というわけだ。

私の住む札幌では10月後半から新型コロナの感染者が急激に増えている。Go to の影響だという人もいるが、旅行をするにも外食をするにも新型コロナ禍の真っ只中であることに変わりはない。にもかかわわらず新型コロナ以前と同じような行動をとっているのだから感染者が増えても不思議ではない。マスクもアクリルパネルもあないよりはましというだけだ。

寒くなれば窓を閉める、暖房を入れる。乾燥した部屋の中では感染率は高くなる。4‐6月の在宅ワークはいつのまにかオフィスワークに戻っている。対面での会合も多くなってきた。検温と消毒だけで安心してはいけない。クラスターは一度に複数人が同時に発症しているようにみえるが、たった1人の感染者からクラスターは発生することを忘れてはならない。

 

 

 

新しい仕事の仕方を感がる気はないのだろうか?

 

というわけで、私は会合、ミーティング、情報交換という類の対面接触は遠慮している。出席すると感染させられると思っているのではない。病院に通っている身としては、いつ病院で新型コロナに感染しているかわからないのだ。潜伏期間に会合などに出席して他の人に感染させたくないだけなのだが・・、なんとか出席できないかとお誘いをいただく。それでも断っている。

おそらく今後の仕事に影響はでるだろう。新型コロナ前と同じ仕事の仕方をしていた場合は影響が出るのであって、仕事の仕方を変えればそうとは限らない。対面での仕事はお断りします、と言ってしまえばよいだけだ。すべての人が同じ環境で、同じ条件で、同じ能力で、同じ結果を出すとは限らない。なんでも「みんなで」という必要はないのだ。

日本人は平均好きだ。同質、同一、同時が好きなのだ。そもそもそんなに同じ人間がいるわけではない。なので平均的人間を作ってそれに合わせようとする。そういうことが好きな人は、そういう人が集まればよい。集まらない人間を協力的でないと排他的態度をとってもかまわない。私は私、そいう人間ではないのだ。

 

 

先日、台湾の格言?を読んだ。「世界の平均的人間にはキャン〇マが1個ある」というものだ。あなたは何個キャン〇マをお持ちだろうか?