ブログを日記と考えている人もいるだろう。人に読まれることを前提にした日記を書くには、多くのことに自分の考え持つか、毎日毎日変化がある生活を送っているなら書くネタに困らない。
平凡な毎日を送りながら凡庸な内容の日記を書いても誰も毎回読むことはないだろう。お笑い芸人のような優れた話術と同様の文章術で日記をおもしろおかしく書けるなら別だが。
日記を書くにはインプットが必要
インプットは十分条件であり、すでに日々インプットをしている人ならブログというアウトプットはやる気さえあればさして困らない。インプットなしにブログは書けない。
インプットというと数奇な経験をしたり、膨大な本を読んだり、美味しいものを食べたり、映画、音楽、交友などなど日常生活が満ち足りている人なら話題はあるだろう。
ところがほとんどの人は毎日をパターンで生きている。朝起きてから夜寝るまで毎日同じ繰り返しの人も少なくない。たまに変化があるときにだけ新たなインプットがあるだけだ。
ブログのためにインプットを行うのも本末転倒だ。美味しいものを食べるのが好きならインプットも苦にならないが、ブログを書くために美味しいものを食べ続けるのは苦になるだろう。
ブログを書くにはアウトプットが重要
ブログを書くにはパソコン・タブレット・スマホなどを使って入力を行なわなければならない。アウトプットする前にネット上にインプットしなければならないが、これがハードルになる人はブログ以前の問題だ。
ブログの体裁自体は「習うより慣れろ」という言葉が適している。さもなければ習うのではなく倣えばよい。自分が読んで良いなと思うブログの真似をすればよい。
内容を真似るのではなく形式・文体・ボリュームなどを真似るのであって、コピーをしても何の意味もない。上手い下手は練習量とセンスがものをいう。
結局は努力しなければならないのかと思うのだったら、その通りというしかない。新しいことを始めるには多かれ少なかれ努力は必要だ。努力抜きでアウトプットはできない。
中高年にブログを勧めるのはなぜか?
現在の中高年が老人になった時には、情報伝達の媒体が電子化されているだろうし、諸手続きも電子化されているだろう。ここでいう電子化とは通信を用いた電子化だ。
老後の病気も介護も通信を用いた電子化、すなわちインターネットによって多くの部分が賄われるだろう。そのときに口頭での対応は高額サービスになっている可能性さえある。
ブログを書くことはインターネット上の機器の操作とコミュニケーションのリテラシーを一定のレベルに保つことができる。AIがなんでもかんでもやってくれるとは思わない方がいい。
たとえ体が多少動かなくなってもブログは書ける。認知症になってしまったらブログは書けない。認知症にならないためには頭の体操が必要だと言われている。ブログはすべて揃っている。
ブログは他の人に読まれることを目的として書くのだが、中高年がブログを始めるのであれば他の人のためではなく自分のためにブログを書く作業と考えるべきだろう。

