50歳の誕生日を迎えたらブログを始めろ、と言っているわけではない。気持ちが50歳になったら、50代を意識し始めたら、記憶に頼らず記録することを始めてはどうだろうかということだ。
文字をキーボードで入力する前は手書きの時代だった。手書きで個人の日常の思いを記録する手段は日記だった。私も日記を書こうと思ったことはあるが三日坊主にさえならなかった。
なぜ50代を意識したら記録した方がよいのか?
答えは単純である。記憶力が衰えるからである。「えーとなんだっけ、あれ、あれ・・」という症状が増すことはもちろん、そのうち思い出そうともしなくなる。
記録するので忘れても安心ということではない。記録という作業は頭の中を整理しながら再記憶するという行為ではないだろうか。「書くと覚える」ということだろう。
紙へ文字を書くこと、ときには図を描くことで記憶として残る。とは言っても使わない記憶は時間が経てば忘れてしまう。そのときに紙の記録では探すのが大変だ。
デジタル化した記録であれば検索という便利な手法が使える。この方法で一番手っ取り早いのがブログなのだ。「デジタル化した記録+検索機能」があればブログでなくても構わない。
50代から先を考えると不安が過るのでは?
記憶力だけではなく衰えることは他にもある。成長が終わると誰でも、人間でなくても老化が始まる。ところが老化を恐れるのは人間だけだろう。他の生物は老化を受け入れるだけである。
老化とブログの関係はない。関係があるのは老化を恐れること、老化による不安である。不安を解消するために老化を緩和する健康的な生活を送ることは重要だ。
ただ健康的な生活は肉体的な健康面を維持するだけで、頭脳・精神・心理といった面の健康を維持できるとは限らない。「健全なる精神は健全なる身体に宿る」とは限らないのだ。
では、頭脳・精神・心理を健康的に保つためにはどうすればよいのだろうか。健康的な肉体を保つために肉体を鍛えるように頭脳・精神・心理を鍛えることが必要になる。
頭脳・精神・心理を鍛えるとはどういうこと?
歯を食いしばって、我慢して、頑張るということではない。老化が始まっているのにそんなことができるわけもなく、長続きするわけもない。むしろ危険かもしれない。
頭脳・精神・心理を鍛えるためには「考えること」だ。なんでもかんでもググればいいってもんじゃないという人もいるが便利なものは使ったほうがいい。
なんでもかんでもググれば・・ってのは「考えもせずに」というのが抜けている。ググって出てくるのは誰かがネット上に発信した情報である。つまり他人の考えだ。
他人の考えばかりを鵜呑みにするのではなく自分でも考えろということだろうと思えばよい。考えが必要のないことはどんどんググるべきだと思う。
ブログを書くというのは「考える時間を持つ」ということだ。ブログを書かなくても考える時間を持っている人、自分の考えを記憶として残せる人はそれでもいいのだが。